誤解される人の姿は美しい

musicaparadiso2005-11-14

今日は久しぶりに音楽の話。といってもたいしたことじゃないんだけど、レコード会社の営業の友達から聞いた話によると、スティービー・ワンダーは目が見えている、らしい(笑)。何を今更って感じだが、来日してレコード会社が接待するときに用意した女の子を選ぶんだって。仮にこの話が事実だとしても、麻原が目が見えていたという事の方がショック。そして、ジャミロクアイは叶姉妹がいたくお気に入りのようで、来日すると必ず、ジャミロクアイからリクエストが来るんだって。ていうか、姉妹のうち、どっちがお気に入りなんだろう?成田に叶姉妹ドンペリかなんか乗せたリムジンがやってきて、そのまま姉妹のメロンみたいなおっぱいに囲まれて、オータニとかに向かうんだろうなー。いいなー(笑)。


そんなわけで、今日電車の中で聞こえてきた女子大生の会話にびっくりしたのだ。原宿で乗ってきた女子大生2人。

A子「ていうかさー、今日の法学の授業、意味なくね?テキスト棒読みじゃーん。なんだよ、アレって感じ。テストで出るところが分かるからいいケドさー」
B子「ねー。あたしさ、授業出てない友達に出るところ、教えてって言われて・・・」
A子「で、教えてあげたの?」
B子「だってー、断る理由ないジャン」
A子「確かに。でもさー、知りたかったら授業でなよーっていいたいよねー」
B子「それが言えれば苦労しないよ。言えないよー、仲イイ子だったら言えるケドさ。そんなに仲良くないもん・・・」


ていうか、逆だと思うんだけど。仲良くないから「テストに出るところが知りたかったら自分で授業でろよ。調子良いんだよ、おまえ。え?なにかい?あたしはあんたの召使いか?あんたに教えたところで、教えたっきりだろ?なにかしてくれるっていうのかい?世の中そんなに甘くないんだよ。おとといきやがれ!バーロー」って感じな今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。



どうも、最近の若い子の付き合い方って分からない。分からなくても別に困らないんだけど、若い子だけに限らず、最近の風潮として、他人の目を気にしすぎて、嫌われるのが何より恐いっていうスタンスで人間関係を築いてる人が多いような気がする。なんだか、いやーな世の中だ。




友達の、ちっとも面白くない話に愛想笑いをして、相手のペースに合わせるだけの人間関係。お互いに一人になるのが嫌だから、なんとか嫌われないように、こまめに、どうでもいいようなメールを返しあって時間をつぶしてるのだろう。そして、心の中で思ってることを言ってしまったら相手を傷つけちゃうんじゃないか、とか、これを言ったら感じ悪くなりそうでやだなー、だったら我慢しとこう、こんな感じで言いたいことも言えず、表面上はお互いにニコニコしながらうすっぺらな関係を続けていったって、誰が得するんだろう?




俺の大好きな岡本太郎の言葉に「誤解される人の姿は美しい」っていうのがある。岡本太郎の「美しい」っていうのは「きれい」と対極の言葉で、見た目の問題じゃなくて、生き方を表現する言葉。自分を貫いて、人とぶつかって、周りに理解されなくても、独りぼっちになっても、楽な方に進まずに挑戦し続けた人。こんなふうには生きていけないけど、せめてその千分の一でもいいから、なぞっていこうと思う。岡本太郎の言葉には嘘がない。体裁だけつくろって、かっこよくみせようっていう卑しさがない。本当に、本当に人生を楽しんで、闘った人だ。