共感する心って話

今日はすっかり寒くなって、やっと秋の匂いをかいだ気がしたんだけど、さてさて去年の今頃はどうだったかなーと思い出してみようとしたら、思い出したくないことまで出てきちゃいそうでやめた(笑)。こんな冬が近づいたグレーな日のBGMにはオフ・コースがぴったりで、毎年飽きもせずiPodで聞きながら街を歩いているのである。そうそう、iPodというか、音楽を携帯して外出するのは中学校の時にお年玉でSONYWALKMANを買って以来だから、人生の3分の2はそんな風なのだ。だから、音楽なしに外に出るなんてことは滅多に、というかほとんどない。外に出るのに、靴を履くのと、音楽を持ち歩くのは同じくらいのレベルの話なのだ。



そんなワケで、今日山手線で吊革につかまって、オフ・コースの「秋の気配」を聞きながら、ぼーっと窓の風景をながめていたんだけど、急に視界に不自然な固まりが入り込んできた。ふと、右下の座席を見ると、妙に視線の定まった、凛とした赤ん坊が一人で座っているのだ。びっくりして、なにが起きたのか一瞬わからなくなったんだけど、何のことはない、よくできた赤ん坊の人形がチョコンと座っているのだった。でも、なぜ?人形が一人で座るわけでなし、両側はフツーのくたびれたサラリーマンが座っているだけだ。なんてことを考えていたら、電車は次の駅に停まり、どこからともなく急におばあちゃんがやって来て、その子を膝に抱いて座ったのだった。前の駅で駆け込んで乗ってきて、きっと座席を取るためにその子を空席に置いていたのだろうか?



おばあちゃんは、当たり前のようにその人形の赤ちゃんをあやしたり、話しかけたりしてる。ふと、周りを見渡すと、女子高生やスポーツ刈りの男子高校生や、若い子達はニヤニヤ笑いながら「このババア、やべ〜」って顔をしてヒソヒソなにやら話しているし、おばあちゃんの両隣のサラリーマンもいつの間にか、いなくなり、おばあちゃんの旦那と思われるおじいちゃんが座ってきて、一緒にその人形の赤ちゃんをあやし始めたのだ。



俺も目の前で大変なコトがはじまちゃった!と思ったんだけど、他の場所に移るのも面倒だし、窓の外の風景を見ていればいつの間にか、降りなきゃいけない駅に着くわけだし、まいっか、と思ってそのまま吊革につかまっていたのだ。


しかし、周りの人達の、この老夫婦を見る好奇と軽蔑の入り交じった視線はなんなんだろう。だってだって、ただの人形を電車の中まで連れてきて、2人であやしてるなんてフツーじゃない。2人の様子から見ていると、おじいちゃんは周りの目も気にしながら、半分はあきらめたような顔で人形をあやすおばあちゃんの相手をしていた。この2人にはきっと、子供が欲しくってもできなかった悲しい過去があるのだろう。それか、子供を小さいときに亡くしてしまったのかも。それできっと、子供に恵まれなかったおばあちゃんの、子供に対する思い入れがこんな形になってしまったのだろう。



人形に隠された悲しい老夫婦の物語、だ。「ばーか、ボケちゃったババアに、じいさんが付き合ってるだけだろ、大げさな」って言われそうだけど(笑)。そんなコトを考えていたら(また、俺の妄想癖がでてきちゃっただけかもしれないんだけど)急に怒りがわいてきてしまったのだ。だって、周りで笑っているションベンくさい女子高生やリストラ間近のサラリーマンなんかからは、人を共感させるような物語が出てくるわけがないのに、そんな薄っぺらで底の浅い、想像は出来ちゃうけれども決して共感や感動を伴わない人間が、他人のコトを嘲笑するってコトが許せない、と憤ってみた今日この頃、みなさまいかがお過ごしでしょうか。



そんなワケで、俺は人間の魅力というか、人格って言うのは、他人に共感できるかどうか、ってことなんだと思うのだ。他人の感情や、境遇は、いくら言葉で説明されても分かる訳じゃない、それらを理解して感じるためには、経験や知識が自分の身になっているかどうか・・・想像力って言い換えてもイイと思うんだけど、共感するためには、その人の感情の豊かさが問われると思うのだ。



だから、前の会社で番組制作をしていたんだけど、ちょうど福知山線脱線事故の時にOA予定だった鉄道番組があって、俺は毎月の番組表も制作していて、番組の宣伝文句やら紹介画像やらをレイアウトしていたんだけど、編成の時点で「この大惨事の最中に、ノーテンキな番組をOAするのはまずい」って思って、担当したプロデューサーに「ちょっとOAは延期しませんか?今は良くないですよ。全国放送だし、遺族の方だけでなく、お友達や、親戚を亡くした方だっていっぱいいるわけだし・・・」って言ったら、そいつは「そう?ていうか、この番組はそういう番組じゃないからいいんじゃない?福知山線は出てこないしっ」って全然聞く耳を持たない。いや、福知山線が出てくるとか、出てこないとかじゃなくて、犠牲になった人や関係者の気持ちを考えたら、ノーテンキに「鉄道のホニャララを楽しくご紹介〜」みたいな番組を放送するなんて品のないことはできないんじゃないかって思うのが当然だと思うのだ。



そいつは、自分の制作した番組が番組表でもトップで紹介され、全国放送されることだけにしか興味がなくって、「OAを延期した方がいい」って忠告した俺のことを「私にイチャモンをつけるてるのよっ」ってあちこちに言いふらしていたらしい。全くとんだお門違いだ(笑)。こんなバカばっかりで、デリカシーのかけらもない連中に人間の機微が分かるわけがなし、人の共感をよぶものが作れるはずがない。ってことでそんな連中と無駄に過ごすのは全く意味がないと思い始めたのが、ちょうど去年の今頃だった・・・


ああ、やっぱり、やっぱり、去年のいやなことを思い出してしまった(笑)。というわけで今日はこの辺で終わりにしようと思う。